「NHk杯将棋トーナメント」を録画して見ました。
日浦八段対松尾七段。
解説の田中寅彦九段が
「日浦八段は、羽生名人の追っかけをやってた。羽生名人のタイトル戦は、自腹を切って現地観戦してた」
と言ってました。
ふと思ったのですが、なぜ、そんな事したのでしょうか?
現地まで行かなくても、ネット等普及してない時代でも、タイトル戦の棋譜は簡単に手に入ります。
翌日の新聞に、タイトル戦の棋譜が載ってるぐらいですから。
野球やサッカー等のスポーツは、生観戦とテレビ観戦で違いますが、将棋に関しては関係ありません。
自腹切ってまで生観戦したのはなぜですか?
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他の方も書いているように「現場の空気」というものを味わう事が大きいのです。
>野球やサッカー等のスポーツは、生観戦とテレビ観戦で違いますが、将棋に関しては関係ありません。
将棋とはそのように浅いものではありません。
棋譜を見るだけで表面上の指し手を理解したつもりでも、実際に盤の前に座って時間をかけて必死に読む苦しさは簡単には分かりません。
対局相手の人間的な迫力・威圧感、駆け引きや実戦心理などは対局した者にしか味わえないものです。
タイトル戦ともなると対局場所も普段とは違う。取材の報道陣、ファンの期待など大きな熱気も伝わってきます。
そうした現場に少しでも居合わせる経験が、いざ自身がタイトル戦に挑戦した時にも役に立つでしょうし、ファンを意識し将棋界全体を見渡し普及に努め人間的にも成長させるものだと思います。
日浦八段がどこに重点を置いていたかは分かりませんが、タイトル戦の追っかけは棋士として有意義な行動であると思います。
私もアマチュア大会に出ます。全国大会や地元のタイトル戦があり、なかなかそういう舞台には出られないのですが(一応代表経験はあります)、タイトル戦は自分が挑戦しなくても観戦に行き、自費参加の全国大会にも出場したりしています。そうした努力をしていた方が、していない人よりもいざそういう舞台に出た時には上手く対応出来るでしょう。
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控え室でほかの棋士と検討する、現地の感触や空気に触れる、など全然関係ないです。
日浦くんは正真正銘の羽生ファンなのです。
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現地には多くの棋士が集まって研究をしています。
そこでいろいろな人の意見を聞くのが勉強になるからと言う理由が一つです。
棋譜で見た場合は、指した手と消費時間くらいしかわかりませんが、現地に行けば多くの情報があるのだと思います。
そのへんが現地に熱心に足を運んでいた理由ではないでしょうか?
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碁・将棋の多くの棋士がわざわざタイトル戦の会場まで足を運ぶのは現地観戦が目的ではありません。「控室」これが重要なのです。控室では数グループに分かれて継ぎ盤を囲んでの研究が行われます。それらをひとつひとつ覗き、自分の感覚に無い説に傾聴し、自説を述べて時には総スカンを食い、他の棋士が発見した妙手に感嘆し、局後の検討に真っ先に駆けつけて対局者の感想を聴く。これはお金を払っても参加したい又と無い勉強の機会なのです。
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日浦八段だけでなく、タイトル戦(特に竜王戦・名人戦)には、多くの棋士の姿が見られます。
現場の空気に触れる…それだけで強くなると言われるくらいです。本気度が高い棋士ほど居ても立ってもいられないのでしょう。
日浦八段が羽生名人を追っかけてだった…棋界のトップである羽生名人は全ての棋士の目標ですし、日浦八段の心中は分かりませんが、羽生名人の将棋の質、将棋に対する姿勢、考え方等に共感するところ大であるんじゃないでしょうか。世間一般で言う「追っかけ」とは全く別のものです。
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>野球やサッカー等のスポーツは、生観戦とテレビ観戦で違いますが、将棋に関しては関係ありません。
決定的なのはこの部分に関する認識の違いでしょうね。「将棋に関しては関係ありません」はあなたの考え方であって、必ずしも皆そう思っているわけではないということです。
日浦八段は違うと感じているのでしょうし、ついでに言うと私もやっぱり違うと思います。
私もネット中継があるタイトル戦は必ずといっていいほど見ていますし、WEBカメラがついているものについてはそちらもONにして見ています。そういう、目の前にはいない状況でも一手一手にドキドキしながら楽しめるくらいですから、やはり現地にいればその感覚はひとしおだと思いますよ。
「自腹を切ってでも本物の感覚をその場で味わいたい」いいんじゃないでしょうか。私は支持したいですね。
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いや、だから「追っかけ」なんじゃない?
棋譜を見ても楽しめるだろうけど、現場で羽生を見たい、一手一手を直に見たいと思ったんじゃないかな。
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